honden nishigawaitamen of 和紙の里

神社西側板面.jpg

本殿西側板面

 右面「厳子陵図(げんしりょうず)」
 厳子陵は後漢の高士。本名、厳光(げんこう)。光武帝の学友であったが、光武帝が即位後、諌議太夫(かんぎだゆう)に召されたが、士官をことわり、富春山に耕し、釣りなどをして隠士として一生を終わった人である。その釣りをした所を厳陵瀬と名付けている。

左面「賢媛諌言図(けんえんかんげんず)」

 陶侃(とうかん)は若いとき魚梁(やな)づくりの役人となった。あるとき壺に入れた鮓を母に贈ったところ、母はその鮓に封をして使いの者に持たせ、手紙を書き、「お前は役人となりながら、官物を私に送ってくれた。このことは無益であるばかりでなく、私の心配を増すだけである」と陶侃を責めたとする故事に拠るもの。

袖面 「截髪図(せつぱつず)」

 陶侃(陶淵明の曾祖父)は若い時から大志を抱いていた。家は貧乏で母の仞湛と一緒に暮らしていた。同郡の范逵(はんき)は名士であり、孝廉(孝行で潔白な人物として官史に特別任用された者)に推挙され、県の小役人となっていた。あるとき陶侃の家に部下達をつれて泊まることになった。その時母の湛は長い髪を截ち切って二つの髢(かもじ)を作り、これを売って金にかえ、それで酒肴を買って客をもてなしたという故事を表している。