神社の建築 of 和紙の里

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神社の建築
天保15年(1844)に予定されていた式年大祭(御開帳)に備えて、前年の天保14年(1843)に造営された複合社殿で、曹洞宗本山永平寺の勅使門を作り上げた一代の名棟梁大久保勘左衛門の手になる建築である。
普通、神社は拝殿と本殿はそれぞれ独立して建てられる場合が多い。しかし、彼は一間社流造り本殿の屋根を入母屋造り妻入りの拝殿に連結して葺きおろした複合社殿を考案した。
山の峰を集めたような、あるいは幾重もの波が寄せ合うような屋根、複雑さの中に流れがあり、重厚さの中に躍動がある。拝殿正面の獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻さらには側面、背面の中国の故事を題材にした丸彫りの彫刻など、まさしく精巧を尽くした作品で飾られてる。

この岡太神社本拝殿は、昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定され、平成19年(2007)には、「世界の名建築100選」(NHK教育テレビ)にも選ばれている。さらに、平成4年(1992)には神門廻廊等が新たに造営栄された。

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背後の大徳山(権現山)は、里人が「お峰」と崇める神体山である。山頂付近に奥の院三殿(右から岡太神社、大瀧神社、八照宮)があり、簡素な構成ながら江戸初期から中期にかけての代表的な建物である。